2016年07月09日

こんな風に癌が消えてくれたら

新しい癌治療のイメージ映像。

https://www.facebook.com/ScienceNaturePage/videos/vb.693504594115135/868527163279543/?type=2&theater

母が抗癌剤治療を受けていた時、まさにこんな風に腫瘍が消えて行ってくれたら、と思っていました。

強く強く願っていたのに...

注射1本でがん細胞を消し去る治療、
早く実現しないものでしょうか。

そうすれば、今苦しんでいる患者さんやその家族さん達を一気に解放してあげられるのに。

一方で、残虐極まりないテロ集団や殺人犯、てめーらが末期の膵臓癌になってしまえって思います...


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posted by おばちゃんの長女 at 13:13| Comment(36) | 独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月02日

つかの間の帰宅、また病院へ

6時前に寝に上がろうとしたら母が降りてきてトイレに入る。
待っていたがなかなか出てこないので心配したが、やっと便が出てすっとしたと出てくる。
お腹がもやもや痛かったのが取れたと言うので、昨日出なかった便秘のせいだったようだ。
ポートを入れた側の胸はまだ痛いと言っている。
6時のロキソニンを飲んでから、7時に交換するフェントステープを持って又寝に上がる。

一応7時の目覚ましで起きたのだが、体が動かず起きれなかった。
12時過ぎまで寝てしまい、慌てて降りて母に昨日の残りのお粥を温めて食べてもらって薬を飲ませる。
苺も3個ほど食べる。
イマークが届いていたので、1本飲んでもらう。
私たちもパンを温めてブランチして、病院に戻る用意をする。
お粥と黒焼き玄米茶をサーモスに詰めて、イマーク、水素水、アミノバイタルを持って行く。

出かける前に母の部屋に呼ばれ、家の権利書、銀行の通帳類、葬儀社の積み立て証書の置き場所を教えられ、万が一の時は私がしっかり管理するよう言われる。
何も財産らしい財産を残してやれなくて申し訳無いけど、一緒に好き勝手生活させてもらって幸せだったと言う母。
唯一この家が財産だから、お金に困ったらこの家を売るなりして、姉妹仲良く生きていくよう言われる。

女手一つでこの家のローンを払いながら私たち2人を育てあげてくれた母の苦労は私が一番よく知っている。
私もよく泣きながら妹と留守番をしたし、妹も母親の必要な時に傍にいてもらえず寂しい思いをしてきた。
生活費を稼ぐことが一番の優先事項というのが常にあり、母が65歳で引退してから私たちが引き継ぎ、みんな職場と家の往復だけで暮れてきた数十年。

3人でそろって旅行したのなんて、妹が短大を卒業した時以来行っていない。
旅行なんて行く余裕はさらさら無かったし、ケリーを預けてまで行きたいと誰も言わなかった。
今思えば、ケリーも連れて行けるような所へ皆で行っておけば良かったなと後悔している。

日々の生活に追われはしていたが、食べ物だけはひもじい思いをさせないようにと贅沢ではあった。
それが膵臓がん何て悪魔を母の中に宿らせることになるなんて。
母も健康志向では無く、好きなものしか食べない主義だったせいもあるが、主に毎日の食事を担当してきた私に責任があるとすごく後悔している。
どうしてもっと続くようなダイエット食メニューを考えなかったのか、母が60歳を超えてからも私たちと同じようなカロリーと油分の多い食事やパン食を一緒に食べさせていたのか、どうしてもっと栄養のバランスを考えなかったのか。
全てはもう遅すぎるのだが、せめて今からでも糖質制限と食べやすい玄米食で何とか少しでも癌の勢いを止められないものだろうか。

4時15分に家を出て、いきなり道が混んでいて、病院に着くのが5時20分になる。
先に妹と母を入り口前で降ろしてから車を停めに行く。
母たちが1階廊下で待っていて、母がヨーグルトが食べたいと言うので、どれが食べたいかコンビニで見てから病室に上がる。
看護師さんに家での様子を聞かれ、退院の日程と家に帰るか転院するかの予定を聞かれる。
まだはっきりとは決めかねてはいるが、寝てばかりにしても家にいたほうが母の気が紛れて良いのかも知れないし、少しでも家族一緒に居たいと思うので、在宅看護の方向で1月3週目くらいの退院を希望する旨伝えておく。
あとは肝臓からのチューブをはずすかその母にするかを先生の決定待ちとすることになる。

妹がコンビニで母のヨーグルトとホットコーヒー、私にカフェラテを買ってきて、小腹がすいたとおにぎりとお菓子を買ってきて一緒に食べる。
母はホットコーヒーを少し飲んだだけで、6時半に晩御飯が来ても何も食べたくないと言って私がほとんど食べる。(酢豚風の肉団子、青梗菜の炒め煮は妹にも少し手伝わせる。卵スープと7分粥は少しだけ食べて残す)
デザートについていたメロンを1口2口食べたが、甘くないと残す。

横になると言ってから、少し寝かせてと寝てしまう。
7時過ぎから8時半まで3人ともぐっすり寝て、母を起こして玄米粥を食べさせ、薬を飲ませる。
アミノバイタルでサプリを流し込んだのを見届けてから、母とお別れ。

手を握り、3人で抱きしめて、頑張って行こうぜと力を込める。
母は生んでおいて良かったと、妹に我儘言わないでお姉ちゃんのいう事を聞いて助けてやってねと言っている。
気を付けて帰るよう言われ、9時15分に病院を出る。

母が弱気になってると妹は心配し、なんとかサプリが効いてくれて癌の増殖が少しでも止まれば、免疫ワクチンの治験に参加することを最後の望みとしている。
そう、臨床結果通り膵臓がんのたんぱく質に効いてくれればいいのだが。
今残された最後の望み、どうか絶たれませんように。
余りにひどいアブラキサンの結果に、私も心が痛い。
TS−1が効いている間にHIFUを受けさせれば良かった、とか、最初に放射線治療にしていれば手術に持って行けたのでは無いかとか。
後悔することが一杯である。

今から間に合う何かがまだあるだろうか?


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posted by おばちゃんの長女 at 23:58| Comment(0) | 独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月19日

どうすれば良かった?

日曜明け方に微熱(37.2℃)がまた出たらしく、朝の薬と一緒にヒストミンドリンクを飲んだら下がったらしい。
天気が良いので、背中に太陽あたって日向ぼっこして殺菌するよう言って出勤する。

残業で10時前に帰宅。
母は妹にヤイヤイ言われてスマーティに入った後で、少しすっきりしたらしい。
それでも晩御飯はまたお粥が良いと言うので、リブレフラワー入りのお粥とコーンスープにし、お餅を焼いて1切れたべさせる。

お昼は言った通り熱くなるまで日向ぼっこしてたらしい。

デザートにいちじくのフィナンシェを1個、緑茶と一緒に頂く。
お風呂に入りたいが、もう1日やめておくと言って母は1時ごろ寝に上がる。

3時過ぎにトイレに降りてきて、胃もたれすると言う。
お餅かフィナンシェか?
リボDを飲んで又寝に上がる。

私はその後玄米ご飯を炊いてからお風呂に入り、またケリーの事を思い出し、又母の今後の不安で一杯になって泣いてしまう。
ケリー、会いたいよ〜。
一人でいるお風呂やベッドの中、急に心細くなって泣いてしまう...

お風呂から出たのが5時前で、玄米ご飯をラップして明日の母用と冷凍用を分けて冷凍しておく。

デジカメの古いSDカードを探し出してデータを見ていくと、5年前からの元気なケリーと良く太った母の笑顔がある。
いま4,5年前に戻れたら、この状況を避けるための措置が取れただろうか?

長年の金銭面のストレス?
ギリギリまで痛みを我慢した脚の手術の時のストレス?
股関節手術をしなきゃいけないほど太らせる前から食生活に気を付けてれば良かった?
もっと一緒に軽い運動でもさせていれば良かった?
もう。。。
何でこんな最悪な癌になっちゃったんだよ、母ちゃん。
これからの悪化が恐いよぉ。


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posted by おばちゃんの長女 at 21:53| Comment(0) | 独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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