2016年04月04日

闘病のまとめ

早いもので、母が亡くなってもう49日。
色々な手続きと法要に追われて、泣きながら日々の雑事をこなしてきた毎日。

桜の花が咲き始めると、昨年の11月頃から「来年の桜は見られないかも知れない」と寂しそうに言っていた母を思い出して涙が出てくる。
その時は「そんな弱気なことを言わないで」と叱り口調で窘めていたが、やはり自身の体の弱り具合を痛切に感じていたのかと思うと辛くなる。

あんなに必死に癌と戦ってきたのにね...

未だに「あの時あぁしていれば」とか、私たちも至らなかった介護に後悔ばかりです。

母の場合は癌に負けてしまったけれど、その1年半の闘病戦歴を記録として残しておきたいと思います。

現在闘病中のかたの参考になるところがあれば幸いかと存じます。
*膵臓癌患者とひとくくりにできないし、患者さんそれぞれ病状が違いますので、あくまでもご参考まで。


2014年4月くらいから、背中から胃が痛いと訴えだす。
胃潰瘍かと思い、胃カメラでの検査を薦めるが乗り気では無く、市販の胃薬を飲んでいる。

7月中旬ごろまで頻繁にその症状が続くので、近所の胃腸科クリニックで私が勝手に胃カメラの予約を入れる。
8月6日 診察、レントゲンとエコーで膵臓に影があると言われる。
8月20日 CT検査 膵臓がんと言われる
8月22日 MRI検査 早急に専門医での検査と治療を勧められる。
8月27日 M病院で石川先生の診察を受ける。
       膵頭部に膵臓癌 ステージ4a
十二指腸に近く、血管にかかっているので手術は無理。
     石川先生に紹介された病院で化学療法と放射線治療でガンを少し小さくしてから手術しましょうとなる。

9月2日  大阪府立成人病センター 胆管膵内科医の診察を受ける。
9月3日       検査入院
9月8日       検査結果を聞いて今後の治療法を決める
            治験 ゲムシタビン + TH502 の抗癌剤治療を選択

9月10日 痛み止めの薬がロキソニンからオキシコンチンとオキノームに変わる
9月11日 左胸上部にCVポートの手術

9月17日 抗癌剤治療開始: 治験 ゲムシタビン + TH502 の点滴  
       夜に副作用による心臓痛と首筋に発疹
  12月25日まで10回の点滴治療

10月3日 退院
10月5日 副作用の抜け毛に悩みだす
       
10月17日 入院 胆管ステント留置手術のため
10月20日 胆管ステント留置手術
10月28日 退院     
11月11日 CT検査
11月13日 外来診療、抗癌剤75%で6回目
      CT検査の結果で、32mmから28mmに腫瘍が約12%の縮小、腫瘍マーカー(CA19-9)も962から256に減少
11月14日 家でスマーティによる温熱治療開始(1日2,3回を目安)
12月18日 外来診療、抗癌剤75%で9回目 心電図検査(心筋梗塞の疑い)
    20日ぐらいから左足外反母趾のこぶの爛れがひどくなる
12月25日 外来診療、抗癌剤50%で10回目 心エコー検査

2015年
1月6日 CT検査
1月8日 外来診療、CT検査の結果で、肺への転移(左肺下部に約9ミリの白い影)とすい臓がんの増大(28mm→ 35mm)
      CA19-9は58(CEAは3.5)にまで減少
      治験による抗癌剤治療ストップ

1月15日 外来診療、抗癌剤治療をジェムザールのみで再開
2月3日 外来診療、抗癌剤(ジェムザール)85%で2回目 1週休薬後にTS-1に変更
      漢方内科受診 煎じ薬の処方(1週間分)      
2月10日 漢方内科受診2回目 煎じ薬の処方(1週間分) 経済的に続かず、これで漢方は終了

2月17日 外来診療、抗癌剤 TS-1開始  9月24日まで
3月17日 外来診療、CT検査
3月31日 外来診療、CT検査の結果:腫瘍の大きさは変わらずだが、CAマーカーは若干下がっている。(2/17 186 → 3/17 160)
4月14日 外来診療、血液検査 CAマーカーは若干下がっている。(3/17 160→118)
5月26日 外来診療、CT検査  口内炎悪化の為、TS-1を3日休薬
6月9日 外来診療、CT検査の結果:腫瘍の増大は無しで肺の影も消えている、CAマーカーは前回の118から86に減少     
     思い返せば、母の病状としてはこの月が一番調子が良かった。(口内炎はひどかったが)
     7月7日には口内炎が更に悪化、副作用マックスの状態となっていた。一方、髪は元通りに生え揃う

7月16日 CT検査
7月21日 外来診療、CT検査の結果: 腫瘍の増大は無しで、CAマーカーは108
       白血球 1.83 (基準値:3.5-9.9) 好中球数 0.6 (基準値:1.9-8.0)共に減少で休薬
8月11日 外来診療、血液検査 CAマーカー182に増加
      9月8日くらいから食後の痛みがひどくなってくる   
9月15日 外来診療、CT検査
9月24日 外来診療、CT検査の結果: 腫瘍の増大 TS-1終了
       次の治療にアブラキサンを勧められる

10月5日 連携病院で外来診療 O先生にもアブラキサン+ジェムザールでの治療を勧められる
10月6日 外来診療、抗癌剤 アブラキサン+ジェムザール 60%で開始  11月18日まで
10月13日 外来診療、白血球激減のため抗癌剤中止
10月20日 外来診療、風邪のため抗癌剤中止

      髪が大量に抜け始める

10月27日 外来診療、抗癌剤 アブラキサン+ジェムザール 60%で2回目
      痛みがひどくなってくる
11月10日 外来診療、抗癌剤 アブラキサン+ジェムザール 60%で3回目
      倦怠感と、お腹の痛み、筋肉痛のような痛み、手先のしびれ、食欲減退、更なる脱毛を訴える
11月18日 外来診療、CT検査、抗癌剤 アブラキサン+ジェムザール 60%で4回目
     痛みが続く
12月1日 外来診療、CT検査の結果:CAマーカーが5882に激増、膵臓の腫瘍の増大、及び肝臓への転移を確認、腹水なし
             ジェムザール+アブラキサン治療終了 緩和ケアへの移行を勧められる
      5日に嘔吐、腹痛
12月6日 黄疸が出始めて緊急入院
12月7日 余命1,2ヶ月の宣告を受ける
12月9日 軽皮軽肝的胆道ドレナージ術(PTCD)の手術
     痛みどめにロキソニンも加わる
12月14日 十二指腸にステントを入れる手術
      痛みどめオキシコンチンからフェントステープに変わる
12月28日 左胸上部にCVポートを右に入れ替えの手術

12月31日
〜 2016年1月2日 一時帰宅 最後のお正月を一緒に家で過ごす

1月8日 緩和ケア病棟に転院
1月14日 痛みどめがフェントステープからメサペインに変わる
1月25日 胃痛を訴えだす
1月26日 CT検査 十二指腸に入れたステントの一部が外れて胃の中に落ちているのが見つかる
1月31日 黄疸の症状が出始める 腹水の増加が顕著に分かるようになるお腹の膨れ
      この日の夜に食べたお粥を最後に、食事を摂らなくなる。
2月1日 胆汁を外に排出
2月2日 胃の内視鏡検査とステント脱落部品の回収
2月3日  十二指腸に入れたステント拡張の手術

γ-GTの推移 299(2016年1/13)→563(1/21)→679(2/3)→835(2/8) 転移した肝臓のほうが急激に悪化

2月12日 腹水を1リットル抜く
2月15日 胆管チューブからの液漏れ 最後の自力でのトイレ
2月16日 小刻みに震えが出だす
2月17日 朝がた4時ごろから呼吸が苦しそうになる 6時過ぎから酸素吸入 7時26分 永眠

★飲ませたサプリ、健康食品など★
ビフィーナ 2013年〜2016年1月末くらいまで
R1ドリンク 2014年6月〜2016年2月13日
アミノバイタル(エネルギー) 2014年9月〜2016年2月16日
明治メイバランスミニ 2015年2月20日〜
テルミール 2015年3月〜
テルミールアイス 2015年7月15日〜9月下旬くらいまで
ペムパル 2015年12月15日〜2016年2月

Mega 3(乳酸菌サプリ) 2014年9月20日〜2015年2月20日頃
カイジ顆粒 2015年1月29日〜 2週間
漢方薬(処方生漢方) 2015年2月3日〜 2週間
アミノエール 2015年3月14日〜2016年2月10日頃
アントロキノノール 2015年12月14日〜2016年2月4日頃
十全大補湯 2015年11月〜12月

発芽玄米粉(生)
黒焼き玄米茶 ティーバッグ
玄米と白米のコラボ「玄白飯」

あと、体温が低めだった母の体温を36.5℃以上に保とうと、遠赤の温熱パッドとスマーティを使用していました。
特にスマーティは痛みを抑えるのに効果的で、これのおかげでレスキューのオキノームを飲むことが劇的に少なくなってました。
母曰く、痛みを薬で抑えるのと、スマーティで抑えるのとでは全然スッキリ感が違うとのことで、多少重苦しさが残ることがあっても、オキノームを飲んだ後の別の気分の悪さ、だるさは無いのが良いらしい。

スマーティが無かったら、痛みが続いた頃の辛さを母は克服できていなかったと思っているし、お薦めしたガン友Sさんも愛用していて感謝されてました。
価格は張るんですが、思い切って購入して良かったと思っています。(今は妹が愛用中)

温熱療法は効果的と確信した、だからこそ、TS-1とスマーティが効いている間にハイパーサーミアの治療を試してあげられなかったのが今でも心残りです。

体を常に温めていること、うるさく妹に言われて、時に嫌々していた母ですが、温熱パッドを背中やお腹にあてているのも痛みを抑えるのに効果的でした。
遠赤で骨の髄から温めないと、湯たんぽや張るカイロぐらいでは抑えられない癌の疼痛。

この遠赤パッドは、母が変形性股関節症になって、激しい痛みに眠れず苦しんでいた時に中村先生に勧めてもらったもので、その骨からの痛みも和らぐ効果にずっとベッドに敷いて愛用していました。
温熱治療器の決定版!医療用 遠赤外線 「中村司のこだわりホットパック」

起きている時は巻くタイプの物を愛用していました。
家庭用温熱治療器(治療機) 遠赤外線コスモパックフィット

フジカのスマーティは下からも遠赤効果のあるデジタルタイマーのF4-NX、出入りが楽なのでできればまっすぐスライダー付きのがお勧めです。
【スマーティ『F4-NX』まっすぐスライダー付】

残念ながら母の場合、膵臓がんを消すことはできませんでしたが、転移した肺の腫瘍は消滅させられました。

遠赤外線(スマーティ)全身温熱でガン細胞を消せ


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posted by おばちゃんの長女 at 17:31| Comment(11) | すい臓がん治療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
長女さん、妹さんも体調いかがですか。私は告知を受けてから6キロ痩せてしまいました。
改めて長女さん、お母様の闘い拝見すると本当に頑張られたんですね。御家族のサポートまたお母様の生命力だと思っております。
うちは母は腹が決まっていて私が、心配ばかりで怒られてしまいました。
今日からアブラキサン+ジェムザールの点滴が始まります。副作用が心配です。
脱毛は覚悟しているようですが、この抗がん剤が効いてもらうことを祈るしかないです。
長女さんはお医者様は膵癌で複数持っていましたか?
ケモは近くの病院がいいということで、近所の総合病院で従来通り治療しますが、他の病院にもかかっていらっしゃったかまたお聞かせ頂ければと思います。
なかなか主治医の先生が、リードしてくれるタイプではなく全て聞いてくる感じで。。
また返信頂けると幸いです。更新本当に大変な中ありがとうございます。
Posted by いんこ at 2016年04月05日 07:55
いんこさん、お母様のサポートのためにも、これ以上体力落とさないようにしてくださいね。
精神的にキツイのは良くわかりますが、そんなに急激に痩せちゃうと、いんこさんまで倒れちゃいますよ。

うちの場合は近所の総合病院にロクなところがなかったのと、母が主治医の事をいたく信頼していて、別の病院で治療を受けたくないと言うので、高速飛ばして1時間の隣県の病院に通い続けました。
関西で一番癌治療では有名な病院ではありますが、それでもやはり手術できない膵臓がんには決定的な治療法は無いようです。
最新の治験や、薬が優先的に試せるかと思い、癌専門の大きな病院を選びましたが、公立の病院ゆえ、所謂標準治療だけが優先されて、そのほかの治療の併用ができなかったのが後悔するところです。
また、大病院だけに待ち時間も半端無いので、健常者の私でも体力的に大変でした。
それでも母が頑張って通うと言っていたので、本人が信頼できる医師の元で治療を受けるのが一番ではないかと思います。
最初の医師への信頼度が決まる前にセカンドオピニオンを受けるほうが良いかとは、今ならそう思えたりもします。

癌の治療法に関しては、必ずこちらに決めさせるようになっていますので、そこでそれぞれの治療法の違いや副作用の説明を納得いくまでしてくれるかどうか、今の病院の医師が頼りないのであれば、セカンドオピニオンで別の医師の説明の仕方を比べるのも良いかと思います。
ただセカンドオピニオンを受けるための体力的、金銭的負担が心配なところではありますので、なるべくお母様の体力があるうちに行っておかれてはどうでしょうか。
進行性の癌ですから、早め早めの手を打ってくれない先生でないと困りますよ。
Posted by おばちゃんの長女 at 2016年04月07日 05:48
おばちゃんの長女さま
お母様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
また、本日はコメントを頂きまして誠に有難うございます。
ハイパーサーミアが普及されない理由については、ブログで他者を批判すると私のブログ自体が削除されますので記述していません。もし、メールを頂ければ、私の考えを返信することが出来ます。
Posted by 石本広喜 at 2016年04月08日 17:10
長女さん、妹さん、その後いかがおすごしでしょうか?

今日で35日、来週は忌明け納骨です。
早いような長かったような1ヶ月でした。
つき命日の次の日が母の誕生日でしたので、お供え物にこの日だけはケーキを…と思っていましたが、私が胃腸炎でダウン。
ほとんど拝むことも出来ずでした。
こういう時、困りますね。
父はおりく膳は私しかしないものとしていて、お水かえてくれるのですが…。
体調不良の時に看病してくれた元気だった頃の母のありがたみが分かります。

仕事に復帰したことで忙しさから、涙する日は減りました。
でも、やっぱり時間が出来ると考えてしまいますね。
そして、いまだにまだ、母が帰ってくるような気もしています。

長女さんも同じ心境ではないかと思います。
母が寂しがらないよう思い出すのもきっと必要なんですね。
辛い闘病が強く印象に残ってしまっていますが、楽しかった思い出もたくさんあります。
その楽しい出来事を思い出すようにしています。
寂しくなりますけどね。
悲しみはなかなか癒えないですが、お互い頑張りましょうね。
Posted by T at 2016年04月11日 08:13
Tさん、ご心配頂き有難うございます。
私も妹も、ただ仕事場と家の往復の日々を淡々と過ごしております。
Tさんこそ、寝込むほどの胃腸炎は心配です。もう大丈夫でしょうか?

うちももうすぐ2回目の月命日が来ます。
Tさんも言われる通り、母が亡くなってもう2か月も経とうとしているのに、まだ病院に行けば母が居るような気がします。
最後の3カ月の病院での思い出が強烈過ぎて、母との思い出は病院での些細な出来事ばかり思い出されます。
そして「去年の今頃は母もケリーもいたのに、1年後に2人のお仏壇が2つ並んでいることになるなんて誰が想像できた?」と妹は涙ぐみます。
ホントに存在感の大きな2人が一気に居なくなってしまった我が家は静かで寂しいです。
母との楽しい思い出を、妹と笑って思い出話できるようになるにはまだ時間が要りそうです。
Posted by おばちゃんの長女 at 2016年04月13日 04:56
長女さん。うちの12年生きたインコが今朝亡くなりました。12年前家に来てくれた同じ日です。
母が大事に孫のようといって可愛がり妹に一番なついていて本当に看取るのが辛かったです。
昨日まで元気にしていたのに朝起きたら弱っていて、三時間妹の手のひらで大好きな歌を歌ってあげました。
母と私は病気になってから、一度もお互いに泣きませんでしたが今回ばかりは号泣しました。
母はそのあとインコが病気を持っていってくれたと、気丈に振る舞っています。
アブラキサンとジェムザール、三週連続で受けて段々貧血や脱毛が激しくなってきました。
ご飯はもりもり食べていますが、料理ベタなのでなかなか美味しいものが食べさせてあげれずです。
長女さんの闘病のあり方を参考にさせて頂いています。今は辛いですが何とか乗り越えたいと思っています。
Posted by いんこ at 2016年04月28日 14:47
いんこさん、お辛いですね。
家族の一員のインコちゃん、とても悲しいお別れであること、お察しいたします。
いんこさんやお母様のメンタルダメージが心配です。
気丈にふるまわれていても、大きな喪失感は否めませんからね。
食欲がある間はしっかり食べてもらって、体力、免疫力が落ちないようにしてあげて下さいね。

脱毛も3,4週目ぐらいから一気に加速するので、そのショックによるメンタル面も心配ですけど、お気に入りの帽子やウィッグを用意してケアしていただければと思います。

朝晩寒かったりするので、気温差にも体調お気をつけて、闘病サポートなさってください。
Posted by おばちゃんの長女 at 2016年04月29日 02:33
長女さん、お久しぶりにまたお邪魔しました。
昨日の母の日はつき命日でした。
つき命日も2回目です。

最近、以前より思い出すのが辛くなりました。
忙しくしている時は普通に生活していますが、運転中など不意に母のことを思い出します。
病院の、しかも最期の入院時のことや、認知症が酷くなって怒ってしまった時のことなど…自分が後悔しているんでしょうね。
それこそ意味のない言葉を叫んでしまいます。
どうしても最期の印象が強くて、認知症が酷いときの印象が強くて…そこから記憶が離れないんです。
今更ながら、ああしておけばとも思います。
病気や余命が変えられなくても、私の言葉や行動はもっと母のために出来たのでは…と。
確かに入院中泊まり込みで付き添ったり、私なりにその時精一杯のことはしてきました。
今戻ったとしても、それ以上は出来なかったかもしれません。
それでも、考えてしまいます。

時間をおいてどんどん後悔が強くなったような気がします。
時間が解決すると思っていましたが、まさかの辛さが増すとは。
やはり、母が亡くなってすぐは処理しきれずに耐えられいたのかもですね。
話し相手、無条件の味方がいない辛さを味わう毎日です。

長女さんもまだまだ傷は癒えず、お辛いことと思います。
毎日を頑張っていくしかないですよね。
Posted by T at 2016年05月09日 21:27
Tさん、その後お体の調子は大丈夫ですか?

うちも来週3回目の月命日がやってきます。
母が居なくなってもう3か月も経つと言うのに、私も何かというと病院でのことばかり思い出してしまいます。
寝る前にお仏壇の母に語りかける言葉はいつも「お休み」と「ごめんね」です。
守ってあげられなくてごめんね、治してあげられなくてごめんね、あんな苦しい思いをさせてごめんね...
私の中にも数々の後悔があって、未だにそれを許せない自分との葛藤で涙します。
ベッドに入って涙が止まらなくなって、眠れなくなって目を腫らして会社に行くという恥ずかしいことを何度していることか。(実は昨日も... 母の居ない母の日はツライですよね)

Tさんと同じく、あの時は精一杯やっていたはずなのに、今だから思える「あの時ああしておけば」という後悔は時間が経てば経つほど出てくるのかもしれません。
どこで折り合いがつけられるのか、まだ今の私には分かりません。
ごめんなさい、気の利いたお返事ができなくて。


Posted by おばちゃんの長女 at 2016年05月10日 05:52
長女さんもまだお辛い中、分かっていただけることに甘え、泣き言をすみませんでした。
本当に折り合いはまだまだつきそうにありません。

実は仕事の方でいろいろゴタゴタも起き出し、退職を考えています。
母が元気な頃なら背中を押してくれただろうな〜なんて思うと、一層寂しく…。
認知症になってしまってからも、ぬくもりがあるだけで助けられましたし、写真を見ては母のいない寂しさが増してます。
今が一番寂しい時期なんだと思って、耐えるしかないですね。…と書いてる間にも涙が…(^^;

そして、こんな時にホスピスから家族会のお知らせが…。遺族で故人の想い出を語り合う…と名目らしいです。
正直、想い出として語るにはまだ辛いですし、そのような場で号泣もしたくない…。
欠席も葉書を投函する必要があり、辛さが増すため、以後の知らせは不要とお願いしました。
こういう会があるのをみても、余命が分かっていて闘病していたのに、私は受け入れてなかったんだなと今思います。
だから、母がホスピスでの最期を迎えた時に、転院したことで寿命を縮めてしまった気がし、後悔がありました。
病院側からはホスピスが空くまでとの約束でしたから、治療のない末期患者を入院させられないと言われた上での仕方ない選択でした。
腹水もたまっていたので、時期だったことも分かります。
でも、転院してわずか1週間で…そのうち4日は沈静したために昏睡状態。やはり後悔しかありません。
今では、病院もホスピスも目にしたくないくらいです。

家族っていつになったら傷が癒えるんでしょうね…。
きっと長い時間が必要ですね。
Posted by T at 2016年05月18日 09:34
Tさん、お互いまだ辛い状況ですね。
うちにも今日、病院からの手紙が来ていました。遺族のお茶会のようなお誘いでしたが、もうあの病院、あの病棟には行きたくありません。
病院に行けば、まだ母が居るような感じは残っているのですが、今はもう病院自体見たくもない気分です。

職場のゴタゴタも辛いですよね。うちの職場もよく理不尽なことが起こるので、私も転職を考えています。
ただ、もう積極的にやりたい仕事を見つけて転職という、自分のために活動する気になれずにズルズルただ毎日を生きているって感じです。

いつまでもメソメソしていては、母も怒るかなとは思いますが、まだダメですね。
次から次へと湧き出てくる後悔と涙。
去年の今頃はまだ元気だったのに。
あの元気なうちに何か別の手を打てていたら、とか。

私も思います。あとどれくらいの時間が必要なんだろうか...って。

Posted by おばちゃんの長女 at 2016年05月21日 04:01
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