2016年01月31日

黄疸が出始めた

1月30日(土)
8時過ぎに起きて、お粥と玄米茶を温め直してサーモスに詰めて病院へ。
9時過ぎに病室に着くと、母はベッドに横になって起きていて、おでこの寝汗を拭いていた。
かなり寝汗をかいたようだ。
あれから3時ごろに目が覚めて少し起きていたという。

9時10分に朝の薬を飲ませに看護師さんが来た。
メサペインだけ飲んで、あとはペムパルのイチゴ味を少しとトロピカーナのフルーツジュースを少し飲んで横になる。
声が又弱弱しくなって、「今日Yさん来るの?」と聞く。
昨日来たことを言うと覚えていなかった。
昨日の記憶は殆ど無いらしい。

寝入っているところに10時半に体温と血圧を測りにくる。
体温36.5度、血圧117と75.
又寝汗をかいていて、枕のタオルを換えてあげる。

午後からお風呂に入れてくれるとのこと。
シャワーを希望したが、足元がおぼつかないからと、今日はベッドままお風呂に入れてもらうことに。
しばらくベッドを起こして座っていたが、すぐに横になって寝てしまった。

白目の部分の黄色が濃くなってきて、黄疸が心配。
ステント手術と一緒に胆汁を外に出す処置をしてもらえないか聞かねば。
母もよく寝ていて、12時半に起こして一緒にお粥を食べる。
母は梅干し、ちりめん山椒、磯自慢でマグカップ1/3くらいのお粥を食べる。

1時前、看護師さんがお昼の薬を持ってきてメサペインだけ飲ませる。
一旦病院から出て買い物に行ってくる。
スーパーの写真屋でSDカードから母の写真をプリントする。
縁起でもない話だけど、遺影写真を用意しておかないと思ったりして。
プリントに30分かかるので、その間に買い物をしておく。

2時半ごろ家に食料を冷蔵庫に入れてきてから病院に戻る。
ちょうど母がお風呂から帰ってきたところだった。
パジャマも着替えさせてもらってさっぱりしていた。

頭を洗面台ですすぐのを手伝って、顔も拭いて化粧水をはたいて、ベッドに横にならせる。
私も雑誌を見ながらウトウトしていたところに妹が来る。
お昼ご飯にカレーうどんと塩パンを食べ、少し寝る。
7時前に母を起こして晩御飯代わりのプロテイン(コーヒー牛乳味)を飲んでもらう。
夜の薬を持ってきてもらって飲ませる。
少しお腹が痛くなってきたと言い出したが、まだオキノームは要らないと寝てしまった。

12時すぎに妹にサプリを飲まされ、ハーゲンダッツのミニカップを少し食べた。
10分ほど座っていてすぐ横になってテレビでサッカーのアジア予選決勝戦(対韓国)を見ていたが、2点取られて不機嫌になって寝てしまう母。
1時前に母に又明日来るからと声をかけて病室を出る。

黄疸の症状が出始めているのか、顔も若干黄色っぽくなってきている。
胆汁を外に出すようしてもらわなければ。


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2016年01月30日

内視鏡手術で脱落ステント撤去

1月29日(金)雨
7時過ぎに起きるつもりが、目覚ましを消してしまって起きたのが8時過ぎ。
何でこんな日に寝過ごせるほど寝られる自分に自己嫌悪を感じながら、慌てて出かける用意をして9時前に病室に着く。
内視鏡検査に出かける前の点滴をする用意をしているところだった。

昨日、あれから朝まで良く寝て、6時ごろにオキノームを飲んだという。
同じく6時ごろ飲んだメサペインが効いているのか、母は眠そう、だるそうで、話すと活舌も少し悪かった。
体温36.4度、血圧120,60で異常なし。

点滴をつける前にトイレに行きたいと言うので付いていく。
足元がおぼつかない感じではあるが、私の腕を軽くつかむ程度でしっかり自分で歩けていた。
私も慌ててインナーのタートルが後ろ前着てたので隣の個室で着替えなおす。

母はおしっこが結構出てスッとしたと出てきて、ゆっくり病室に戻る。
手術着に着替える際にマニュキアを取らないとダメと言われて、除光液を探しに行く看護師。
前の病院での内視鏡手術の時もマニュキアはしたままだったのにと母は言うが、一応規則に従って取ってもらってから9時25分に車いすで手術室へ向かった。
私は病室で母の帰りを待っていた。

11時5分に看護師さんがベッドで迎えに行くからと、病室のベッドを持って出て行った。
15分後に消化器内科の先生が来て、内視鏡検査の結果をざっくり教えてくれる。
ステントは十二指腸に入れていたものが一部外れたものが胃にはいっていて、それは除去できたとのこと。
残っている十二指腸のステントも押されてかなり狭くなってきているので、中から広げるステントを入れる手術をしたほうが物も食べられるし、吐き気も無くなるだろうとのこと。
それは後で本人にも説明に来るとのこと。
今は薬で眠らされているので、1時間ほど寝ているだろうと言われ、看護師さんも12時半ごろにまた様子を見に来ますと言って出て行った。

母はよく眠らされているが、無呼吸症候群の症状が強く、呼吸が数秒止まっては苦しそうないびきをかいて、その声の大きさにびっくりする。
喉が詰まったような苦しそうな声も出すので不安になるが、つついても起きないし、大丈夫なんだろう。

1時50分に看護師さんが母の点滴をはずしに来るが、ポートから針を抜いても起きない。
そろそろメサペインを飲んでもらわないといけない時間なのに、と言われるが、母は麻酔が良く効いていて大いびきで寝たまま。
又後できますと看護師さんが出て行って、私はお腹がすいたのでカップのスープパスタを食べる。

2時半に母に呼びかけを繰り返すと少し反応して瞼を開けようとしだす。
再び来た看護師さんにも起こされ、メサペインを飲ませる。
まだボーっとした状態で、すぐに瞼も閉じてしまう状況。
横にならせたところに消化器の先生が入ってきて母に今日の結果と、ステントを再度入れるか聞くが、母はあまり話が飲み込めていないよう。
ただ、ステントを入れて吐き気防止と食事ができるようにしたほうが良いと言われて、そうしますと答えていた。
そこへ早退してきた妹が入ってくる。

月曜か火曜に手術の手配をしてもらうことに。
先生が出て行って妹に経緯を説明して暫くしてから主治医がはいってきて、落ちたステントを取ってもらえてよかったねという。
てめぇ、置いといても大丈夫だとか、手術は拒否されるかもとかいい加減なこと言いやがって、と主治医に怒りを感じつつ、「説明不足で悪かったね」と謝罪を受ける。

4時半ごろ母の旧友のYさんがお見舞いに来てくれたが、母は挨拶してはすぐ眠り、少し目が覚めて話してはすぐ眠り、寝てばっかりだったので、コーヒーを入れて私がポツポツ話をしていた。
せっかく来てもらったけど、ほぼずっと寝ていた母。

Yさんの帰り際に起こして、挨拶させる。
この前は私がずっとしゃべっていたけど、今日は遠い所来てくれたのに寝てばっかりでごめんねと、ちゃんと話してた。
Yさんに「早く元気になりや、又来るから」と手を握られて、うんと力なく応えていた。
5時半ごろに帰って行った。

母が起きて牛乳を飲むと言うので、ストローで少し飲ませる。

7時10分に夜の薬を持って看護師さんが来て、母を起こして飲ませる。
飲み込み辛そうだったので、今回もメサペインと錠剤の胃薬だけで、粉薬の整腸剤はパスした。
看護さんにも胃の痛いのがとれて楽になったと言っていた。
今日ステントの残骸を取ってもらえてホントに良かった。

又眠りに落ちた母、私も横になって寝てしまう。
9時前に看護さんが来て、今日はずっと仰向けで寝ているから、お尻に床ずれができないように薄い枕をかましておきますね、と枕をお尻が浮くようにはさんで行った。
看護師さんが行ってから、妹が母にサプリをアミノバイタルで飲ませる。
やはり今日は飲み込みが辛いようで、飲むのも時間がかかって苦戦していた。
飲むとすぐまた眠ってしまった。

ホッとしたのか、妹も横で座ったまま寝始めた。
11時に少し起きて水分補給、12時40分に起きてトイレに行きたいと言って連れていく。
ようやく頭がはっきりしてきたようだ。

サプリをアミノバイタルで飲ませて、横にならせ、私達は1時に帰る。
帰り際、ベッドに腰掛け、横に座った妹に母が抱きついて泣きだした。
胸に支えていた苦しいものが今日のステント撤去で取れたようで、内視鏡をやってよかったと。
我儘で厭だと言っててごめんねと。
あんた達に助けられたと。
2,3日死ぬほど苦しかったと。

ステント脱落が見つかった時点ですぐ撤去してもらえれば良かったのに、ここ(緩和ケア)は何でもこっちから言わないとやってくれないから、母に苦しい思いをさせてしまった。
これからは私達が主導で処置をしてもらわなければ。

外はまだ雨が降り続いていた。
帰って玄関と庭の水やり、持って帰ったパジャマを洗濯して干しておく。
黒煎り玄米茶を沸かし、玄白米でお粥を作って寝る。4時半。


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2016年01月29日

母の復調と叔母のお見舞い

朝6時に母がお腹が痛いと目を覚まし、オキノームを持ってきてもらって飲ませる。
もう座ってストローで水も吸って自分で飲めるようになっていてホッとする。
良く眠れたとのこと。
どこか島に行った夢を見ていたという。

胃の中でステントの外れたものが痛いらしく、母から内視鏡検査を受けると言い出す。
7時前に妹を家に送り、ガソリンを入れてから病院に戻る。
8時40分、先生たちの朝の回診の際に昨夜の様子を言って、午後から消化器内科の受診を手配してもらう。

9時前に看護師さんが朝の薬を持ってきて、座って全て自分で飲む。
10時半に血圧を測りに来るまで又いびきをかいて寝ている。
体温、血圧とも異常は普段通り。
ただお尻の割れ目部分にヘルペス後のような爛れ後から汁が出ているので、皮膚科の受診を勧められる。
皮膚科の先生に外来後に来てもらうよう手配してもらう。
パンツを履きかえさせて横にならせる。
またすぐ寝入ってしまう。

12時20分ごろお腹がすいてきたので妹が昨日買っておいてくれていたお弁当を温めてきて食べる。
最後の2口くらいのところで看護師さんが入ってきて、皮膚科の先生の受診は部屋に来てくれるとのこと。
母がお水が飲みたいと言うので、座らせて水を飲ませる。
氷を1,2個入れてというので、入れて飲ませると美味しかったという。

母の電話が鳴り、叔母(母の妹)がもうすぐ最寄駅に着くとのこと。
ちょうどシーツを換えてくれていた看護師さんに任せて叔母を駅まで迎えに行く。
叔母も11月に乳癌の手術を受けて抗がん剤治療中の大変な状況の中、母のお見舞いと激励に東京から駆けつけてくれた。
昨日の怖かった様子を伝えると、もう一度個室に戻ったらと叔母に言われる。
病室に着くと、思っていたより部屋が大きかったので個室に戻る話はなくなり、良い部屋じゃないと言われる。
叔母も抗がん剤の副作用がきつくなってきてる話をしているときに、母の携帯に母の友人Yさんから電話が入って私が出る。
部屋の外で話して、母の昨夜からの容体が良くないことを伝えると、明日の3時の仕事が終わってから来てくれるとのこと。
半分ベッドで上半身を起こしながら頑張って話に付き合っている母。
3時半ごろ叔母を駅まで送って行って、帰り道スーパーで食料を買って病院に戻る。
私が出てる間に皮膚科の先生が来て、ヘルペス用ではない軟膏を処方してくれたとのこと。
スーパーで買ってきたカットメロンを食べるかと聞くと食べると言うので一緒に食べる。
続けてサプリも飲んでくれる。
しばらく座っていてから横にならせて寝かせる。

談話室でネットしていると看護師さんに呼ばれ、消化器内科の先生から説明があると紹介される。
若い先生で大丈夫かいな、って感じだけど、取りあえず明日か月曜で内視鏡検査をして状況を見て、ステントを取り除くか再留置手術をするか決めましょうとのこと。
一緒に病室に戻って母にもその旨説明して、宜しくお願いしますと言っておく。

会社に電話して明日も休ませてもらう。
気にしないで悔いのないようにしてあげてと言われて助かる。

部屋で日記を書いていたら、内視鏡検査が明日の朝9時半からになったと先生が言いに来る。
続いて看護師さんが来て、検査のために絶食となること、痛み止めを早めの6時に飲むことを伝えられる。

6時40分ごろ夜の薬、と持ってきたので母に飲ませる。
R1ドリンクを飲んでから歯を磨いて、トイレに連れていく。
朝、妹を家に送って行っていた間に行ったというきりなので、便座に座ったら出るからと言って連れて行く。
やっぱり座ったらおしっこは一杯出たと言い、便は小指先くらいの小さいのが1個出ただけだと言う。
ベッドに戻ってから又良く寝てしまう。

8時半ごろ、母が暑いと言って目を覚ます。
額に汗をかき、パジャマもしっとりしていた。
ウエットティッシュで汗を拭いて、室温を26度から25度に落とす。

9時に妹から電話があり、会社から帰宅したという。
母の様子を聞かれ、今日は落ち着いているから、私も帰る予定だから、今日は来なくて大丈夫、と伝える。
母はよく寝ていて、10時過ぎに看護師さんがオキノームを要らないか聞きに来たので起き、要らないと言うが、背中から痛みがあると言うので、しばらく背中をさすってあげている

12時半まで隣でテレビを見ながら日記を書いているが、母は良く寝ていた。
40分に起こして帰ることを言うと、目を開けるのも辛そうだったが痛みは無くオキノームも要らないと言う。
明日の朝にまた来るから、と手を握ってバイバイする。
「気をつけて帰りや」といつもの言葉をかけてもらい、病室を出る。

外は雨が降っていた。
小雨だったので小走りで駐車場に行って1時過ぎに帰宅。
妹が台所で転寝していた。
母の様子を聞かれ、今日は落ち着いていたことを伝えて安心させる。
会社で明日からの早退と日曜欠勤の許可を取ってきたという。
妹も疲れているのか、眠そうに1時半過ぎに寝に上がった。

私は妹が3日前に買った来ていた和牛のもも塊で肉のたたきを作りながら、けんちん汁を温めて食べる。
撮ってあったテレビを少し見てから3時半に寝る。
早く寝なさい、と注意しに来る母がいない寂しさ...


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2016年01月28日

しっかりして!

1月27日(水)
8時過ぎに起きて出かける用意をしていたら妹が降りてきて、よく眠れなかったと目をはらしていた。
9時前に家を出て病院へ。

母は先生の回診が終わったあとらしく、ベッドに横になって起きていた。
あまり気分は良くない様子。
メサペインでボーっとしている感じ。
喉が渇いたか聞いて、カルピスオアシスを飲むと言うので、先にペムパルのイチゴミルク味を少し飲んでもらう。
起きあがらせて、ベッドに座って飲んで、その後トイレに行きたいと言うのでついていく。
私の右手にぶら下がるようにつかまりながらトイレまで行き、後は一人で済ませて又ゆっくり病室に帰る。

すぐに横になり、目を閉じる。
新しく持ってきたCDをかけてと言うので、ジェットストリーム2のCDをかけてあげる。
リチャードクレイダーマンのピアノ曲「渚のアデリーヌ」や「星空のピアニスト」がはいっていて懐かしいねと聴いている。
当時私が好きで、よくレコードをかけていたのを母も気に入って聴いていた。
あの頃にまさか数十年後にこんな形でこの曲を聴くことになるなんて、想像すらし得なかった。
幸せなBGMのはずだったのに。
曲が進むにつれて母は寝てしまった。

会社に行く時間となり、CDつけっぱなしで良いか聞いて、そのままにしておいてと言うので音楽をかけたまま病室を出る。

車をおきに家に帰り、5分遅刻で出社。
早退の引き継ぎをして、母の状況を言って土曜の休みをもらう。

4時半過ぎに再び病室へ。
母はベッドに座って、前のテーブルによもぎ大福とお茶を置いてもらっていた。
横には泣きはらした目の妹が真っ赤にした鼻をすすっていた。
「もう泣きなさんな」と母に言われていたが、「もっと一緒にいてくれないとイヤだもん」と泣き声の妹。
昨日の話から、弱気になっている2人。
私だって泣きたいわ。

ヨモギ大福で3人お茶しながら、ケリーと母で一箱(3個)ペロリだったのにねと、ついこの間のことを懐かしむ。
母は大福を小さく切って2,3口食べ、その後寝てしまった。
私たちも母につられてウトウトしていた。

7時、8時と看護師さんが夜の薬を持ってきていたが、母がよく寝ていたので後でとなっていた。
7時過ぎに母がちょっと寒いと言いだしたので背中に温熱パットをあてて温める。
妹が母の目を拭いてやり、涙と目ヤニでまつ毛がくっつき、開きにくくなった目をきれいにしてやっていた。
9時過ぎになっても起きない母、いびきをかいて寝ているから良く眠れているんだろうが、薬が切れて激痛が起きないか心配になる。

さすがにそろそろ薬を飲まさないとまずいだろうと、9時20分に母を起こすが、なかなか起きない。
50分ごろ薬を飲むよう言って看護師さんに薬を持ってきてもらう。
母は起きあがれず、ベッドを起こしてストローで水を飲ませようとするが吸えない!
目も焦点が合わない状態で、吸い口を持ってきてもらった看護師さんを見て「おねえちゃんじゃない」とビックリするなど意識が朦朧としている。
薬は飲み込むが、その後意識が飛んだように目はうつろ、呼びかけにも応えてくれず、すぐに寝てしまう。
このまま死んでしまうんじゃないかと怖くなる。

呼びかけ続け、10時過ぎになってようやく意識が戻ったように熱いと言い、温熱パットを切って布団をのける。
カルピスオアシスを吸い口で2口ほど飲ませる。
冷や汗をかいたようで頭と顔、首筋の汗を拭いてあげる。

妹が泣き出し、「置いていかないで」と言うと「何言ってるの」と反応してくれる。
「明日会社休もうか?」と聞くと、「休まんでいい、大丈夫」と叱り口調。
いつもの母のようでホッとする。

靴下を脱ぎたいと言うので脱がせると、足首に型が食い込んで、足先がむくんでいた。
又そのまま寝てしまう。

11時に目が覚めた時には意識がはっきりしてきて、一旦起きあがって座り、又横になる。
背中をさすってあげながら、痛み止めが効いてくるのを待つ。
看護師さんが様子を見に来て、今晩付き添いで泊まることを伝える。

起こしていたベッドを倒して横にならせる。
しばらく会話している。
私達が結婚しなかったことを謝ると、母もあんた達にずっと依存してたから悪かったと言われる。
今日、主治医に母が文句を言った話(内視鏡検査が必要ならそう言ってくれ!と)をして、11時40分頃から再び眠りに着く母。

朝まで数回、横に着いていた妹が大丈夫か聞くが、大丈夫と言ってオキノームも飲まなかった。
ただ無呼吸症候群のような症状があり、時々息が止まって不安になったが、いびきをかいて良く寝ていた。
そのいびきが時々苦しそうな声になっていた。


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2016年01月27日

予想以上のCT結果

1月26日(火)
2時前に病室に着くと、母が先生の面談が2時半からだと言う。
看護師さんものぞきに来て、先生の準備ができたらまた呼びに来ると言われる。

2時40分過ぎに呼ばれて、私と妹だけで面談室へ。
昨日のCTの結果を見せながら、胃の周り全体に腫瘍が取り囲んでいて、それに押されたからか胃の中にステントの脱落が見られ、肝臓の中も転移した腫瘍がかなり大きくなっていて又黄疸の症状が出始めているとのこと。
数日うちに胃の入り口が更に狭まって物が入らなくなり、腸も詰まって腸閉そくになってしまうとのこと。

本人に言ったが、胃の内視鏡検査はしたくないと言うし、痛み止めも注射は厭だというのでそのままにしているとのこと。
胃のステントを入れ直すにしても先に検査が必要だし、結果によっては出血等を危惧して手術は断られるかも知れないとのこと。
腹膜にも転移して腹水も溜まってきているし、いずれにしてもあと数日でどうなってもおかしくない危険な状況だと言われてショックを受ける。

こんなにお腹全体に腫瘍が大きく広がっているなんて、頼みのサプリが全然効いてくれてはいなかった。
もう成す術無く死んでしまうのを待つしかないの?
しかも更に痛みに苦しむ姿を見なくてはいけないの?
ひどすぎる。
あんなに頑張って癌と戦ってきたのに、こんなあっさり負けてしまうのか?
涙が溢れて止まらない。

家族控室に連れていかれて、看護師さんから辛いだろうけどもしもの時に備えて欲しいと、最後に着せる服の準備などを改めて言われる。
妹もすすり泣いて顔が真っ赤、こんな顔で病室に帰れない。
暫く居て気持ちを落ちつけてから病室に戻る。

胃の中へのステントの脱落が胃痛の原因で、その内視鏡検査を断ったんだって?と母に言うと、聞いてないという。
どーなってんだか。
妹が母があの主治医を厭がるのがよくわかったという。
見た目もさることながら、活舌も良くない、説明もいまいちハッキリしないし、全て患者の希望に沿ってというスタンスが医者主導部分の怠慢に思える。
医者としてやるべきことは患者の意思がどうあれハッキリやったほうが良い、ダメと言ってほしい。

何も食べたくないという母にR1ドリンクを飲ませて、サプリも飲んでもらう。
母が寝ている間、私達も転寝しながらついている。

1時に病院を出て帰宅。
寒い母の部屋のベッドに座って放心状態になってしまう。
どうしよう、もうこの部屋に母は帰ってくることはないのか、母の物や服がこんなにあるのに。

本当にそう遠くない未来に母とのお別れがやってくると言う現実が突きつけられた。
今から考えてもしょうがない死後の手続きなどの煩雑さにも途方にくれてしまう。

もう、誰か助けて。



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2016年01月25日

痛みの変化


昨日から胸のあたりが痛いと言い出していたので、8時40分の回診時に主治医が来て、今日CTを撮ってみましょうと言われる。
時間がいつになるか分からないと言っていたが、CT9時になりましたと9時前に看護師さんが言いに来て、検査着に着がえさせて車いすで2階のCT検査室に連れて行く。
検査室で待つこと10分くらいで撮り終わって出てくる。

病室に戻ってから昨日持って行ったキウィを自ら食べると言って食べてくれる。
甘いよと言いながらくれるので2切れ手伝う。
R1ドリンクも飲んで、サプリを飲む。

10時40分に病室を出て私は出勤、少し残業で10時過ぎに病院に玄米粥を作って持っていく。
が、胸が痛くてムカムカすると言って食べてくれなかった。

どうして胸が痛くなってきたんだろう?
まさか肺に転移?
明日のCT結果が心配。


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2016年01月24日

ヤなことばっかり...

1月23日(土)
7:35に目覚ましを合せて鳴らしたが、消して起きれず、8時15分に飛び起きる。
やっぱり行っておこうと、けんちん汁と黒煎り玄米茶を温め直して詰めて9時過ぎに家を出る。
15分に病院到着、コンビニでホットコーヒーを買ってから病室へ。
母は寝ていたがすぐに目を覚ました。
昨日より大分まし、と起き上がった母の目ははっきり開いていてしっかりしていた。
一昨日まではどうしようかと思うほど起きれなかったが、昨日も夜に結構起きれていたし、今朝はさらに気もはっきりしているらしい。
痛みも無く、昨日からオキノームも飲んでいないと言う。
一進一退だけど、少し調子の良いのを実感しているようで母は嬉しそうだった。
私もホッとする。

キウィを切ってきたものを出して、食べれるか聞いている所に看護師さんが朝の回診に来る。
昨日から便がスッキリ出た事、尿も4,5回行っていること、意識が大分はっきりして、眠さとだるさが取れてきたことを言うと、メサペインに慣れてきたのだと言われる。
やはり痛みどめの副作用だったようだ。
昨日からオキノームも飲んでいないけど、今痛みは無いとのこと。(昨日は4回オキノームを飲んだ)
検温は36.1℃で少し低め、血圧も昨日と同じく110/90ちょっとで異常は無し。

副作用が治まって来て良かったと言われて出ていく看護師さんを追って外に出る。
一昨日の母の様態の事を言って話を聞きたいと言い、談話室で話をする。
看護師さんも母に死の覚悟みたいなことを言っていたから私たちに話をしないと、と思っていたとのこと。

母が死期を感じるほどの症状はメサペイン錠の副作用も大きいが、腫瘍からのしんどさ、痛さもあると言われる。
肝臓の数値も悪くなっているので、実際いつ何があってもおかしくない状況にまで悪化しているらしい。
ああ、何てこと。
肝臓転移のほうも悪化が早いのか。

言いにくいけど、葬式の為の準備、最後何を着せてあげるかの服の準備もしておいてほしいと言われる。
今はまだ46時中付きっきりになる状態ではないと言われ、自分で歩いてトイレもシャワーも出来ているから、家に一旦帰るのなら動ける今のうち、来週少し気温が上がったころが良いのではないかと言われ、木曜頃を予定しておいてもらう。
部屋に戻ると「何してたの」と聞かれ、母はキウィを半分食べていた。

看護師さんに薬の副作用の事を聞いていたと言ってお茶を濁す。
少し横になる、と言って母は寝てしまった。
15分ほど待って私は出勤の為病室を出る。
夜は無理して来なくて良いよと言われ、ベッド上からバイバイしてくれる。
車を家におきに帰って出勤。

アマゾンで遂にこの本を買う。


ずっとイヤで後回しにしていたのだが、もう覚悟を決めないといけない時かも、と。
ホントに母は居なくなってしまうの?
嫌だよぉ。

定時に帰宅して、妹と病院へ。
食欲が無い、何も食べたくないと言うが、妹がアップルバナナを買ってきていて、それなら少し、と1本食べる。
夕方に少しだけけんちん汁の野菜を食べたらしい。
看護師さんにチンしてきてもらったら熱すぎて、冷めるまで置いておいたら食べる気が失せたと言う。

今日は便も出ていないからお腹も張っているとのこと。
私たちも妹が買ってきた中華のお弁当で晩御飯。酢豚とエビチリ弁当。
レンチンしに行った妹が、10時消灯なのに電気が消えないのは隣の人の家族、親せきが談話室に集まっているからと言い、どうも今夜が山のよう。

暫くするとバタバタと部屋を片付ける音が聞こえてくる。
お亡くなりになったようで、11時過ぎには部屋が空になっていた。
縁起悪いなぁ。
母が気にしないと良いんだけど。

母はお昼ほど元気は無いが、オキノームを飲むほど痛みも無いと言い、1時近くまで一緒にテレビを見ている。
1時半ごろから寝始めたので、帰る用意をして、母をちゃんと寝かせて、手を握ってバイバイして帰る。

凍てつく星空、でも雪は降らなかったので良かった。
帰ると家が寒くてなかなか温まらない。
持って帰ってきた母のパジャマを洗濯機にかけながら黒煎り玄米茶を沸かし、考え事をしながらだらだらとテレビを見てしまい、寝るのが4時過ぎに。


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2016年01月23日

付き添いについて悩む

1月22日(金)
起きるのが辛かったがやっぱり昨日の今日で、母の事が気になるので玄米がゆを作って出勤前に病院に行っておく。
9時過ぎに駐車場に着いたらほぼ満車で、病院から遠い所しか空いていなかった。

病室にたどり着いたら一気に汗が出てきた。
温かい病室で、母はベッドに横になっていた。
母も昨日言ったことを気にしてたようで、今日はまだ大丈夫なのに、と元気そうに振舞う。
一旦起きて座ったが、さっきオキノームを飲んだところだそうで、効くまで横にならせておいてね言われ、また横になる。
まだ体のだるさと眠さが強く、じっとテレビも見ていられ無いと言う。

喉渇いていないか聞くと、妹が持って来てたトロピカーナの缶ジュースがもう無いか聞くので冷蔵庫を探すとマスカットジュースが残っていた。
これで良いか見せて、飲むと言うので起こして飲ませる
美味しいと言ってストローで少しずつ飲んでいる。
「このまま家に帰らなくて良いの?一度一時帰宅でも家に帰りたいと思わない?」と母に聞くと、「こんな体じゃ帰れない」と弱弱しい声で答える。
「そりゃ帰ってしたいと思うことが一杯あるけど、こんなフラフラで、座ってるのもやっとの状態で帰れるわけがないじゃない」と情けなさそうに言う。
やはりそんなにしんどいんだ...
「しっかりしないとね、しっかり。」自分に言い聞かせるようにつぶやく母。
母にしか分からない体の状態。
もう私には掛ける言葉が無かった。

暫くしてオキノームが効いてきて痛みがましになってきたと言う。
朝の薬の時に何も食べていないと言うので、お粥を少し食べてもらう。
梅昆布と磯自慢で、スープカップ1/3くらいの玄米がゆを少しずつ食べれたので、続けてサプリを飲んでおいてもらう。
下痢を心配していたけど、出ていないらしい。
痛みどめの影響の便秘が勝っているのか。

デザートに苺は要らないかと聞いたが、今は要らないと言うので、お昼の薬の時に食べておいてねと置いておく。
10時過ぎに看護師さんが検温と血圧を計りに来て様子を聞かれる。
オキノームが効いてきて痛みは無いが、倦怠感と眠さがあるのと、便が出ていないと伝える。
脚のむくみも相変わらずひかない。
体温36.4℃、血圧も110/90ちょっとで異常は無し。

お風呂にはいりますか?と聞かれ、シャワーをお願いする。
11時過ぎに用意しておきますとのことで、背中を洗う介助だけお願いしていた母。
まだシャワーも一人ではいって頭も洗えるとのこと。
気を付けて入ってねと言って、私は10時半に病室を出る。

先生が受付に居たから、余命が本当にあと1週間くらいで、ずっと付き添いでいたほうが良いか聞こうと思ったが、何故か明日にしようと思って足早にエレベーターに向かってしまった。
ホントの事を聞くのが恐くて逃げていたらいけないのは分かっているのだが...
実際会社も急に言って休めるか分からないし、迷惑はかけたくないのだが、事が事だけに、ここは母の事を最優先したい。
が、急に私が付きっきりになったら返って母を不安にさせないかとも思う。

実印のことも、私が見つけ出してしまうとホッとして気が抜けるんじゃないかと思ってわざと探さないでいる。
やはりもう一度家に帰ってきてほしいから。

車を置きに帰ってから出勤。
電車の中で来週から休みを取るべきかどうか悩む。

定時で帰宅し、かなり冷え込む中、震えながら妹と病院へ。
病室に入ると別世界に温かく、すぐに汗ばんでくるくらい。
ベッドに横になってテレビ「魔女の宅急便」を見ていた。
母は朝より気分が良くなっているらしく、シャワーして頭も洗えたし、着替えてさっぱりしたと言っている。
夕方に苺(5粒)とみかん半分を食べていた。

便も結構な量出たらしく、お腹の張りも無くなったと言う。
それでも「何食べる?」と聞いてもあまり食べたくはないみたいで、もう少ししてから私たちと一緒に食べると言う。
20分ほどしてから、私たちのご飯とゆば入り茶わん蒸しをレンチンしに行き、昨日の田舎チラシも温めてくる。
母にゆば入り茶わん蒸しを1/3ほど食べさせ、田舎チラシも少し食べてもらう。
お腹一杯になって私は寝てしまったが、母は妹とテレビを見ながら結構長時間座って起きていた。
サッカーを見ながら日本を応援していた。

午前1時前に母の手を握ってバイバイして、明日もし雪が積もるようなら来なくてもいいよと言われ、今日は立って病室ドアの所まで見送ってくれた。
病院を出たら一気に目の覚める寒さ。
車の温度計が3.5度になっていたが、家に着くと2.5℃になっていた。
寒くてなかなかヒーターが効かない部屋。
母は病院に居るほうが良いよね、と実感。

土曜からまた冷え込んで、夜から雪も降ると言う予報なので、朝に病院に行っておくべきか悩む。
明日持っていく用に、けんちん汁を作っておく。


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2016年01月22日

母の覚悟

1月21日(木)
久々1時まで6時間しっかり寝て、起きてから枝豆スープを作り、植木の水やりをしてから出かける。
まずドラッグストアに行ってアミノバイタルを6個とナプキンなどを買ってからスーパーに行って、田舎チラシとイチゴとカブの酢もの、ヨーグルトを買って病院へ。

病室に着くと母はベッドに横になっていて、さっきオキノームを飲んだところで、少し痛みがましになってきているところだと言う。
今日は採血と心電図を撮ったそうだ。
痛み止めの影響か、ずっと体がだるくて起きていられない、すぐに瞼が下がってきて寝てばかりだという。

トロピカーナのミックスジュースが美味しくて1缶飲んだと言い、食事は昨日残したR-1ヨーグルトの残りを食べただけ。
ジュースを飲んだ後、もよおしてトイレに行ってすっきり出たというが、食欲は無く何も食べたくないという。
一緒に枝豆スープを飲むつもりだったが要らないと言うので、ミルクティを入れて一人パンを食べる。

先週の血液検査の結果をようやく持って来てくれたと言って見せてくれる。
数値の良く無いものにチェックがはいっていた。

血清総タンパク 5.4 (6.5 - 8.3)
アルブミン 2.7 (3.5 - 4.8)
総ビリルビン 1.7 (0.2 - 1.2)
トランスアミラーゼ
AST 50 (8 - 40)
ALT 29 (4 - 45)
ALP 653 (100 - 340)
LD 245 (100 - 210)
γGT 299 (5 - 47)

肝臓の疾患で上昇する数値がことごとく上がっていて不安になる。
肝転移のほうの癌も大きくなっているのだろうか。

ずっと横たわったままウトウトしては、痛みが来たときに起きては少し話をする、の繰り返し。

時々胸が締め付けられるように苦しくなったり、胃のあたりが締め付けられるようなねじられるような痛みが来るのが自分でも鬱陶しい、厭になると、精神的にイライラしている感じ。
サプリも今日は一回も飲んでいないので、イチゴを5粒ほど食べた後でまず2錠とアミノエールとビフィーナを飲ませる。

しばらく一緒にテレビのニュースを見ていたが、また寝てしまい、夜の薬を看護師さんが持ってきて7時10分に起こされる。
薬を飲んでからトイレに行って、また便が出てすっきりしたと帰ってきたが、まだ何も食べたくないと寝てしまう。
その間、私は横で日記を書いている。

9時になっても起きない母。
早く起きてスープでも飲んでほしいのにな。

10時過ぎになって、お腹が痛くなってきたと言って起き、ナースコールでオキノームを持ってきてもらって飲む。
これが今日3回目のオキノームとのこと。

ベッドに座って、母が隣の人も先が長くないらしいということを看護師さんから聞いたと言い出す。
「そんな人同士を一緒にしてるのよ。」と言われてドッキリする。
「私の予感だとエックスデーは27日か29日」と言う。
ピンと来なかったが、自分の命はもうあと一週間くらいしかもたないような気がすると言うのだ。
ショックで一瞬声も出なかった。

「そんな死ぬ1週間前の人は何も食べられないんだから。」と言うと、「食べられないじゃない」と母が言う。
「今日だってイチゴも食べたし、ホントに一口も食べられなくなるんだから」と何とかその弱気な考えを否定しようとする。
「ここ数日どうにもだるいし、目も開けてられないくらいすぐ寝てしまって、何のやる気もない。あんた達が来ても、何か話をしなきゃと思うけど起きていられないし、頑張って家に帰って実印も探さないといけないと思っているのに、こんなフラフラした状態では怖くて帰れないし、気持ちばっかり焦っても体がどんどんついてこなくなってる。」とポツポツ話し出す。
「頑張りたいけど、もう日1日命が抜けていくようで、もちろんこのままあんた達を残して死にたくは無いけど、大変になってくるよと前の主治医が言ったことがよくわかる」という。
「だからここに入れてもらったんだ」と。

「おねえちゃんには苦労ばかりかけて悪いと思っている。こんな親なのによくしてくれて感謝している」とも。
そして思い出したように、実印はどこで、その中に巾着がはいっているから多分その中にあると思う、という。
そういってからテレビ下のかばんを取ってと言われて母に渡す。
中からカード入れを出して、印鑑カードを見せながら、実印の印影は印鑑証明を取らないと分からないが、フルネームの印鑑が出てきたら分かるとのこと。

手を握りながら、「こんなことになって悪いな。でもいつかは誰でも別れの時がくるから我慢してな」と言われて泣いてしまう。
妹がまだまだ子供であかんたれだからこんな話をしたら泣いてしまうだろうから、おねえちゃんと2人の時に言っておこうと思って、と言いながら、二人仲良くやっていってねと言われる。
あんたも甘えただから、ホントは私の代わりに大事にしてくれる人が見つかればと思っていたんだけどね、とやはり私が結婚できなかったことが心残りのようだ。
でもOさん(婚約破棄の元彼)に持って行かれた時は悲しかったというから、結婚したとしてもずっと離れられない親子だったんだと思う。
おねえちゃんがいないと生きてこれなかったと言われ、何度一緒に死のうと思ったことか、と言う。
一緒に頑張ってきて良かった、二人ともいい子に育ってくれて嬉しいと。

私だって母のために頑張って生きてきたのに、いなくなったらどうすれば良いのさ。
次は妹のために頑張ってやってねと言われるが、そんなの無理だよ。

昔にタイムスリップしたいな、と言い、「どこまで戻りたい?」と聞くと「おねえちゃんが大学入った頃くらい」と答える。
「一緒に東北やシンガポールに行ったり、あのころよく2人で旅行した時が幸せだった」と言う。

「もっと旅行すれば良かったね」と言うと、「結構行ったよ」と答える。
「母ちゃんの足が悪くなってから全然行けなくなったから、リハビリがてらもっと行ければ良かったね」と言うと、「あの頃から苦労ばっかりかけるね。あの車も私の病院に行くのばっかりに使ってるし。」と愛車のことを言う。
「母ちゃんの名義で買ってるから、居なくなったら自動車税払わないといけない」と言うと、自動車税って今ごどれくらい?と聞くので多分4万円弱、と言うと「そんな高額じゃないから大丈夫でしょ」と言われる。
そういう意味じゃ無いんだけど。
母ちゃんにいてもらわないと困るってことだよ。

「私もできるだけ頑張るけど、分かってな」、と言われる。
自分の死を間近に感じるくらいしんどいのかと思うと、もう毎日ついていたほうが良いのかも知れないと怖くなる。

しんみりしてしまったが、少しでも何か食べてほしいので、作ってきた枝豆スープをマグカップに入れて一緒に飲む。
母は一口飲んで、甘くておいしいというが、2口目もなかなか進まず、飲めないのがわかる。
買ってきた田舎チラシと蕪の酢ものを冷蔵庫から取ってきてあける。
あんなに好きだった田舎チラシ、一口目を食べるのに何度もスプーンですくいなおしては置いて、また掬っては躊躇してと時間がかかる。
おばあちゃんがよく作ってくれたちらしに似てるという話をしながら、具材を一つずつ準備するのに時間と手間がかかるのよねと言ってようやく一口目を食べる。
上に載ってる小さな高野豆腐を食べてこれは美味しいと言う。
去年別のスーパーで買った高野豆腐がまずくて、あれから恐怖症になっていたから良かった。
3,4口食べるのがやっとだった。
蕪の酢ものが口が変わって美味しいと2,3口食べ、残っていた黒豆の煮物を5,6粒食べてしまう。

黒煎り玄米茶を入れて飲ませ、今日ノルマ分のサプリを飲ませてしまう。
最後にアミノバイタルのリンゴ味で薬を流し込む。
少しして、しんどいと横になり、またすぐ寝てしまう。

こんな調子でもう良くはならないんだろうか?
痛み止めがきつすぎるからではないだろうか?
オキシコンチン代わりに飲んでいる薬(メサペイン)の副作用がきついせいだと思うのだが、激痛がしょっちゅう起こるよりは良いのだろうか?

食器の片づけをしながら母の寝顔を見て不安になる。
12時過ぎに目を覚まして、またお腹が痛くなってきたとナースコールでオキノームを持ってきてもらう。
2時間ちょっとしかもたない効き目。

癌はやはりどんどん大きくなっていっているのか。
肝臓の数値も悪いから、だるさがひどくなっているのか。

「今の間に歯を磨いたら?」と促して、ヨロヨロと洗面台前に来て「立ってるのが辛い」と言いながら歯磨きする母。
1日に何度も歯磨きするほど神経質だったのに、言わないとしないまま寝てしまう。
そんなに体がきついのか。
終わるとすぐベッドに横たわって寝てしまう。

1時前に帰る用意をしていたら、目を開けて「今日はもう起きられないからここで悪いけど、気を付けて帰ってな、悪いな」とベッドに横たわったまま弱弱しい声の母。
手を握ってまた明日、と別れる。

駐車場までの長い道、寒さより悲しみのほうが強く襲ってくる。
家までの10分、車中ひとり涙が止まらない。

妹がまだ起きていたので、玄関の水やりをして泣き顔をリセットする。
今日の母の話はとても妹にはできなくて、あと1週間という恐怖にずっと苛まれる。

母との話を思い出しながら日記を書いているが、ビデオで撮っておけば良かったかも知れない、と少し後悔。

またちゃんと母と二人で話ができるだろうか。

4時半を超えているから、もう寝なければ。


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posted by おばちゃんの長女 at 04:33| Comment(0) | 緩和ケア病棟での闘病 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月19日

謎の高熱

母の依頼で、母の競馬預金を全額おろして来る。
ボケ防止にも良いのよと、ここ10年ほどG1を中心に前日から真剣に予想を立てて、細々と賭けてはお小遣いを結構稼いでいた母。
母の最終勝金は10790円だった。
秋のG1以降、競馬をする元気はなかった。

家に帰って朝食を食べていたら母から電話で、朝方から震えが来て40度越えの高熱が出たと言う。
私たちが帰ってから2時間ほどよく眠れたあと、急に歯の根も合わないほどの震えと寒気で意識が錯乱したと言うから怖い。
解熱剤ももらい、先生にも診てもらって熱は下がったらしいが、急に何が起こったのか分からず不安になったという。
喉がやたら渇くから、カルピスオアシスと栄養ドリンクを何か持ってきてほしいと言われる。
兎に角頼まれたものを持って、スーパーでイチゴとR-1ドリンク、ラップ、晩御飯のお弁当を買ってから病院に妹と行く。

ベッドに横になっていた母の顔は赤く、少し浮腫んでいた。
熱は下がったがしんどくて起き上がれなかったと言いながら、ようやく起き上がってベッドに座る。
冷や汗で濡れて気持ち悪いから着替えたいと言うので、持ってきたパジャマに着替えさせる。

着替えられて気持ちいいと、少し顔が穏やかになる。

自分でも何が起こったのか分からないほどの寒気と震えで、慌ててナースコールのボタンも見つからず、ベッドからずり落ちたと言う。
相部屋に移ってから、個室に居た時ほど看護師さんが頻繁に見に来てくれないから心配だなぁ。

朝から何も食べていないと言うので、買ってきたイチゴを食べてもらう。
甘くて美味しいと、5粒食べる。
今日はホントに食欲が無くて、R-1のブルーベリーヨーグルトを半分とアミノバイタルを半分飲むのがやっと。

母にわらびもちを持ってきていたが、少し固くなっていたので、2口くらいしか食べれず。
キャラメルポップコーンとプレッツェルのほうが良いと、少し食べる。

帰る前に母がトイレに行くと言うので、一緒にトイレについて行く。
今日は立って入り口で見送ってくれる。

病院を出てからの寒さで目が覚め、帰宅してから植木に水をやろうとしたらベランダのジョーロに氷が張っていた。

あまりの寒さにお風呂を断念して、玄米粥と黒煎り玄米茶を作って寝る。


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posted by おばちゃんの長女 at 23:58| Comment(0) | イタイ日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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